2024年3月20日水曜日

初登板

松井裕樹がメジャー初登板。

桐光学園で甲子園に出てきた時、神奈川予選から評判の好投手であることは聞いていましたが見たことはなかったので、NHKの中継で甲子園初登板を見ました。

この日は上野の美術館に行く予定だったので1イニングだけ見て家を出ようと思っていたのですが、1球見て「こりゃ20三振行くな」と思って上野行きの予定を変更して最後まで見た事実は当ブログでもお伝えしたとおりです。

当時の録画も残っていますので、「ウソだろ~~」とお嘆きのそこのあなた、証拠物件として裁判所に提出しますので訴えて頂戴ね。慰謝料をがっぽり稼げます(←城島か!!!)。

城島のメジャー挑戦に際しての記者会見での発言が「がっぽり稼いできます」だったのを覚えている人もほぼ絶滅しているでしょうね(笑)。

メジャー初登板でも甲子園初登板の時と同じように「緊張」しているのは画像を通じても伝わってきました。松井裕樹は投げ込んで調子を出してくるタイプなので本番はこれからです。

世の中は「大谷じゃぁ~~」、「山本じゃ~~」と騒いでいる昨今ですが、当ブログは「松井裕樹じゃ~~」と騒ぎ続けますのでよろしく。

 

60発

MLBが開幕しました。

大谷は60本と予想します。

 

機動破壊

センバツ高校野球が開幕しました。

ロースコアの今大会、健大高崎の優勝と予想します。

 

2024年1月13日土曜日

22年 大阪vs東急 1回戦

5月8日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 1 0 0 0 2 1 6 大阪 9勝3敗 0.750 若林忠志 
2 0 0 0 0 0 0 1 0 3 東急 6勝7敗 0.462 一言多十

勝利投手 若林忠志 3勝1敗 
敗戦投手 一言多十 2勝1敗

二塁打 (大)武智 (東)苅田、飯島
三塁打 (東)一言

勝利打点(大)武智修 2

猛打賞 (大)武智修 1 (東)一言多十 1


虎が竜の尻尾を捕える

 甲子園の第1試合は若林忠志と一言多十の先発で午後1時5分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は初回、先頭の苅田久徳監督がレフトに二塁打で出塁、横沢七郎の右前タイムリーで1点を先制、続く長持栄吉の三ゴロは「5-4-3」と渡ってゲッツー、大下弘が死球を受けて出塁、飯島滋弥の中越えタイムリー二塁打で2-0とする。

 大阪は3回表、先頭の若林が四球で出塁、武智修も死球を受けて無死一二塁、トップに返り呉昌征が送りバントを決め、塚本博睦はストレートの四球で一死満塁、山口政信がストレートの押し出し四球を選んで1-2、藤村富美男は右直で二死満塁、金田正泰が押し出しの死球を受けて2-2の同点とする。

 大阪は4回表、先頭の土井垣武が三遊間ヒットで出塁すると二盗とワイルドピッチで三進、一死後武智の中前タイムリーで3-2と勝ち越す。

 東急はその裏、先頭の一言が右中間に三塁打、二死後苅田が四球を選んで二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行するが「2-4-2」と転送されて三走一言はタッチアウト、ここがこの試合の勝負を分けた瞬間であった。

 大坂は8回表、先頭の武智がレフト線に二塁打、トップに返り呉の一塁へのヒットで武智は動けず無死一二塁、塚本の左前打で無死満塁、7回の守備から山口に代わってファーストに入っていた玉置玉一がレフトに2点タイムリーを放ち5-2とする。

 東急は8回裏、二死後熊耳武彦が左前打で出塁、一言が一塁線ヒット、柴田繫雄が四球を選んで二死満塁、清水喜一郎の中前打で1点返して3-5、トップに返り苅田は三振に倒れて追加点はならず。

 大阪は9回表、先頭の土井垣が三塁内野安打から二盗に成功、若林が二ゴロで土井垣を進塁させ、武智の一二塁間タイムリーで6-3として東急の戦意を喪失させる。

 若林忠志は11安打を許しながら3四球1死球4三振の完投で3勝目をマークする。

 武智修が決勝打とダメ押し打を放ち、猛打賞と勝利打点の活躍を見せた。

 大阪はこの時点で9勝3敗として首位中日に並んだ。中日はこの後の第2試合で太陽と対戦する。

2024年1月8日月曜日

昭和22年 金星vs近畿 2回戦

5月8日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 0 2 0 4 金星 4勝8敗 0.333 重松通雄 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 近畿 8勝4敗 0.667 別所昭

勝利投手 重松通雄 2勝1敗 
敗戦投手 別所昭    5勝2敗

二塁打 (金)清原

勝利打点(金)中村信一 1

猛打賞 (金)中村信一 1


重松通雄、西の仇を東で討つ

 第4節初日、後楽園の第1試合は重松通雄と別所昭の先発で午後1時2分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 前半は両投手の投げ合いで5回まで両軍無得点。

 金星は6回表、一死後清原初男が右中間に二塁打、二死後中村信一がライト線にタイムリーを放ち1点を先制、中継に入ったピッチャー別所の悪送球の間に打者走者の中村は三塁に進み、辻勇夫の遊ゴロをショート朝井昇が一塁に悪送球する間に中村が還って2-0とする。

 金星は8回表、一死後小前博文が中前打で出塁、中村の右前打で一二塁、辻の二ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、ここで重松が左前に2点タイムリーを放ち自らを助ける。

 近畿は8回裏、一死後筒井敬三のショートへの内野安打に酒沢政夫の一塁悪送球が重なり一死二塁、しかし朝井昇のカウントスリーボールツーストライクの場面でショート酒沢がスルスルと二塁ベースに入ると重松の牽制に筒井はタッチアウト、朝井は四球、トップに返り安井亀和もストレートの四球、河西俊雄の左前打で二死満塁、しかし田川豊は中飛に倒れて無得点。

 近畿は9回裏、先頭の山本一人監督が四球で出塁、飯田徳治の中前打で無死一二塁、堀井数男に代わる代打岡村俊昭の二ゴロで一死二三塁、別所は三ゴロに倒れて二死二三塁、筒井に代わる代打丸山二三男は投飛に倒れてゲームセット。

 終盤のピンチを凌いだ重松通雄は6安打5四球3三振で戦後初完封、勝利を決定付ける2点タイムリーも放った。

 金星は4日の甲子園で別所に2安打完封で敗れたが、後楽園でその雪辱を果たした。

 打のヒーローは猛打賞の中村信一。重松と共に昭和11年のプロ野球初年度から活躍を続ける最古参である。

 重松は戦前から通算7度目の完封勝利となるが、実際には8度目の完封である。昭和14年11月25日に行われた東西対抗第2戦で、重松通雄は1四球だけの無安打無得点を記録した。当時は下手からの速球派であったが、8年を経過した今では技巧派に転じている。

*昭和14年11月26日付け読売新聞。


*週間ベースボール昭和44年3月17日号。

せい・しょうなごん

 当ブログの読者の中にも大河ドラマ「光る君へ」 を楽しみにされている方は多いのではないでしょうか。

 吉高由里子演じる「紫式部」が主人公ですが、ファーストサマーウイカ演じるライバル「清少納言」がどのように描かれるかにも注目が集まります。

 さて、「清少納言」の呼び方ですが、どのように呼ぶべきなのでしょうか。

 「Wikipedia」には「語呂の関係からか今日では『せいしょう・なごん』と発音されることもあるが、上述しているように『清』は父の姓から、『少納言』は役職名が由来であるため、本来は『せい・しょうなごん』と区切って発音するのが正しいと思われる。」と書かれています。

 読者の方々は「せい・しょうなごん」が正しいのではないかという説をいつ頃お聞きになったでしょうか。

 当ブログが「それ」を知ったのは50年以上前の中学時代。

 2023年8月25日付けブログ「ぼくの好きな先生」でお伝えしたとおり、当ブログの「ぼくの好きな先生」は「古文」の教師でした。ある日の授業で「清少納言」についての講義があり、「清」が名で「少納言」は役職であるから「せい・しょうなごん」と呼ぶのが正しいと教えてくれたのです。

 「せいしょう・なごん」が正しいと信じていたクラスの40人は唖然としていましたね。当ブログがこの教師を「ぼくの好きな先生」と認定するきっかけともなった「コペルニクス的転回」でした。当ブログは「これ」を教訓として、世の中に喧伝される「大本営発表」を盲信することなく、自らの目で「真実」を追及することにしたのです。

 現在の「職業野球!実況中継」でも「それ」を踏襲していますのでよろしく(笑)。 


2024年1月7日日曜日

昭和22年 阪急vs中日 3回戦

5月5日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 2勝9敗 0.182 森弘太郎 
0 0 0 0 0 1 0 1 X 2 中日 9勝3敗 0.750 清水秀雄

勝利投手 清水秀雄 2勝0敗 
敗戦投手 森弘太郎 0勝1敗

勝利打点 なし

猛打賞 (中)金山次郎 1


金山の3盗塁が勝因

 後楽園の第2試合は森弘太郎と清水秀雄の先発で午後3時23分、沢球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は初回、2回と併殺でチャンスを潰し、中日も2回に併殺でチャンスを潰す展開。

 中日は6回裏、先頭の金山次郎が左前打で出塁、古川清蔵の三ゴロの間に金山は二進、金山が三盗に成功して一死三塁、大沢清の投ゴロで金山が三本間に挟まれ「1-5-2-1」と転送されタッチアウト、打者走者の大沢は三塁に進み、杉浦清監督の三ゴロをサード坂井豊司が一塁に悪送球する間に大沢が生還して1点を先制する。

 金山が挟殺プレーで時間を稼ぎ、鈍足大沢清が三塁まで進めたのが得点の要因であった。
 中日は8回裏、一死後金山が三遊間に内野安打、金山が二盗、三盗を決め、古川の三ゴロをサード坂井がエラーする間に金山が生還して2-0とする。

 清水秀雄は4安打3四球1三振で戦後初完封。

 森弘太郎も2失点ながら自責点ゼロの好投を見せた。

 実況でも分かるように、長打も勝利打点も無しという試合で金山次郎の3盗塁が勝因となった。野球においては投手や打者が脚光を浴びることが多いが、「走塁」が極めて重要な要素を占めていることを野球経験者であればよく理解している。

 筆者の過去2年間の還暦野球公式戦での記録は28試合で104打席97打数39安打23盗塁27得点。一番打者なので15打点と打点は少ないが足で勝利に貢献している(品川ビッグスターズホームページ参照)。

 プロ野球の歴史を見ても、現在実況している戦後一リーグ時代では河西俊雄が昭和21年~23年まで3年連続盗塁王でこの間、近畿・南海は2度の優勝。

 当の金山次郎は2リーグ分裂初年度の松竹で盗塁王となってセ・リーグ初年度制覇に貢献。

 巨人V9時代は王、長嶋の強打が喧伝されるが「赤い手袋」柴田の足が心象的だった。

 その巨人を脅かした阪急ではモーリー・ウィルスの盗塁世界記録を更新した福本の足が脅威であった。

 日本球界に革命を起こした「赤ヘル」広島の機動力野球を牽引したのは高橋慶彦であった。

 これらの歴史的事実に鑑みても、「足」が野球に占める意味は大きいのである。

 ということで、モーリー・ウィルスネタを一つ。

 週間ベースボール昭和41年11月14日号(60円)は、この年日米野球で来日したドジャースについて「夜のドジャース戦法」を詳報している。モーリー・ウィルスは日テレの女子アナを追いかけ回すなどの乱行を連発して「足も早いが手も早い」の見出しで伝えられているのである。

 大谷や山本が「夜のドジャース戦法」を踏襲しないといいんですけどね(笑)。