2016年10月25日火曜日

猛打賞製造バッター


 「eiji1917」様にコメントをいただいたように、景浦将は昭和14年11月13日の阪急戦で8回裏の第四打席で石田光彦から左前打を放つと、11月16日のこのシーズン最終戦となるセネタース戦で、第一打席に浅岡三郎から左中間二塁打、第二打席の四球を挟んで第三打席は左前打、第四打席も左前打、第五打席もリリーフの二番手野口二郎から左前打を放ち、5打数連続ヒット、6打席連続出塁を継続中のまま戦場に旅立ちました。

 昭和18年6月23日の南海戦、で4年ぶりに帰還した景浦は、9回表に門前真佐人の代打として登場し、レフト線に二塁打を放って4年がかりで連続打数安打記録を「6」、連続打席出塁記録を「7」に伸ばしました。そして6月26日の朝日戦、2回に乾国雄の代打で起用されると内藤幸三から同点タイムリー、3回の第二打席では四球を選び、6回の第三打席でリリーフの二番手林安夫からセンター右にヒット、9回の第四打席でも左前打を放ちこの日は猛打賞、連続打数安打記録を「9」、連続打席出塁記録を「11」に伸ばすのです。


 更に同年6月27日の阪急戦、4回に大島武の代打で登場して二遊間に2点タイムリーを放ち、連続打数安打記録を「10」、連続打席出塁記録を「12」に伸ばしました。なお、このヒットが「内野安打」であったか否かは定かではありません。当時のスコアカードでは「二重線」は内野安打とされていますが、明らかに外野に抜けている打球でも「二重線」となっているケースが散見されます。実際、景浦の二遊間ヒットで三走御園生崇男に続いて二走玉置玉一もホームに還っていますので、景浦の打球が外野に抜けていた可能性は否定できません。



 さて、ここからが本題となります。


 昭和14年11月13日の阪急戦では若林忠志が5打数4安打で猛打賞。


 昭和14年11月16日のセネタース戦では景浦将の4打数4安打と共に伊賀上良平が4打数3安打で猛打賞。


 昭和18年6月23日の南海戦では金田正泰が4打数3安打で猛打賞。


 昭和18年6月26日の朝日戦では景浦将自身が3打数3安打で猛打賞。


 昭和18年6月27日の阪急戦では猛打賞は出ず、この試合で景浦の、連続打数安打記録と連続打席出塁記録は途切れることとなりました。


 景浦の10打数連続ヒットの間、阪神打線では猛打賞が続出、景浦は「猛打賞製造バッター」だったのです(笑)。


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